ここにコロナで何もすることが無いオッサンがいる。
学校の図書館で昔読んだ小学館の少年少女日本の歴史を読んで感動してブログを書こうとしている。ネットで8月末まで無料で読める。(https://kids-km3.shogakukan.co.jp/)
オッサンに進化した元小学生が読んでもおもしろかった。
日本の歴史をマンモスを追いかけてた狩猟採集生活から現代までをまんがで教えてくれる。教科書と違って歴史上の名もない人々から英雄に至るまでの登場人物に喜怒哀楽の感情があり思いがあり、昔々の出来事がドラマのように描かれている。
時々、猫や犬がしゃべりだして小さなお友達や連休中の暇を持て余してネットで無料で読めると知って読みだしたオッサンが飽きさせないような場面もある。
第1巻で縄文人が酒を飲んでいる場面で編集長が漫画の世界に飛び出してきて縄文人は酒を飲まなかったと言うと、作者のあおむら純先生も飛び出してきて
「うるさい。飲む者の考えが正しい!」
と、編集長のネクタイ掴んで怒鳴ったりする。
これから始まる作品に対する先生の情熱の暴走を感じ取る一場面だが、これくらいの情熱があったから一人の作者が21巻にも及ぶ日本の歴史を漫画にできたのだろう。
(さすがにやり過ぎだと思われたのだろうか、それとも下戸の人に怒られたのか、これ以降先生が出てくることはない)
歴史上の人物にもキャラクターが設定され、教科書ではわからない人間関係も教えてくれる。例えば、平安時代の貴族の生活は派手な戦も無く、宮中での政略結婚や陰謀が主なので自分的にはどれも同じ貴族で退屈な時代だけど、人物に物語を持たせて漫画でわかりやすく教えてくれる。
例えば、清少納言=枕草子書いた人程度の知識のオッサンに彼女がどういう女性であったかを第5巻3章で加茂祭の見物から後宮の凝華舎に帰ってきた中宮定子と清少納言という設定で教えてくれる。
見物から帰り、疲れてスヤスヤと眠る定子の寝顔を見ながら清少納言はこう願うのであった。
「とても幸せだわ。このままいつまでもおつかえしていたいもの・・・・・・。」
清少納言が定子のもとで宮仕えを始めて間もないことろ、内気であった自分に目をかけ、漢詩が得意であるこを引き立ててくれた定子は清少納言にとって大切な人だった。
しかし定子の父・道隆が病死して、兄の伊周(これちか)が何を思ったか花山天皇に矢を放って流罪となると後ろ盾を無くした定子は中宮をやめさせられてさびしく死んでしまう。そして清少納言の願いは叶わず宮中を去っていくことになる。
伊周なにしてくれとんねん。
登場人物がふっと読者に向けて語っているのではと思わせることもある。第13巻4章では、旅を振り返っていろいろな人に出会ったり見てきたりしたけど、長い年月がたてば変わっていくんでしょうねと芭蕉に言うお供の人に
「今というときをだいじに生きていけば、その中で見つけた句はいつまでもかわらず人の心をうつであろう。」
今、歴史の漫画から芭蕉は俺の心を打っている。
まるで連休なにもすることが無いからって、小学生向けの歴史のまんが本を読んでるおっさんに向けられた言葉のようだ。今を大事に生きてるか俺?
江戸時代の庶民の暮らしもわかりやすかったしおもしろかった。
というかお花ちゃんカワイイ(*´ω`*)
第15巻1章に描かれている江戸の町人たちの年中行事が今も自分達の生活に残っていると思うと胸熱である。しかし除夜の鐘が鳴るまでに回収できなかった借金は来年に持ち越しとかいうスーパールールは現代には引き継がれなかった模様。
銭湯にて勝吉のオヤジが信州から出稼ぎに来ていた知り合いとの会話も印象深い。
「なぁに、江戸っ子だって、もともとはいなかから出てきたんだ。」
東京っていうところは今も昔もお江戸の頃から地方の若者が仕事を求めてやってくるところなんででござんすなぁ。
俺のご先祖様にもお江戸に出稼ぎ行った人とかいるのかなぁ・・・。
長屋の大家がお花ちゃんのお母さん(美人シングルマザー)の気を引こうと流行りの浮世絵もっていったり、芝居に連れて行ったり頑張ってるのもなんかイイ。
第18巻2章では、 よく大正時代の女性の人の髪型でものすげぇ大きく張り出したリーゼント?で頭の上で束ねた形(湯〇婆みたいなの)のやつの名前が判明する。
「二〇三高地っていうの。今、はやってるのよ。」
あの髪型は大正時代に流行った髪型だったのか・・・。
大正という時代に生きた人々にも戦争とは別に流行とからあったりおしゃれしたりで、読む前に比べてぐっ大正という時代が近い距離になったのだということに気付かされる。当たり前だけど教科書やネットで見る白黒の写真に写ってる一人一人に人生があったのだ。そんなその時代を生きた一般の人達の日常が書かれているので読んでいるとタイムスリップしたような気分になる。笑ったり泣いたり喧嘩したり恋したり。
逆に現代を生きる自分の感覚とも比較できる。
髪型に戦場の名前をつける大正時代のネーミングセンス・・・。
様々な架空の登場人物が主役として頻繁に登場してくる。
縄文人だったり、農民だったり、江戸の長屋の人々だったりとその時代を生きた庶民だけどそれぞれ物語を持っている。架空ではあるけれどももしかしたら似たような人物が生きていたのかもしれないと思わずにはいられない話もある。
(以下結構なネタバレです。)
第19巻3章。東京のある閑静な家。家の中では若い女性がピアノ(オルガン?)を弾いている。名前は和子。同じ部屋で父親は新聞を読み、母親はお茶を入れている。
自由な世の中を報じる新聞が不満だったらしく、女性や子どもに政治は関係ないと言い放つ父親。
「(お父様ったら怒ってばかり・・・)」と思う和子のもとに友達の玉枝が遊びにくる。
「これからは女性もどんどん意見を言わなくちゃ」という玉枝に対して和子は「女性は政治や社会運動にかかわらないほうがいいと思う」と父親の影響めっちゃ受けてることを言う。そんな和子を玉枝は婦人労働大会へ誘う。
「女の幸せは結婚」という父親と「女性も仕事をもって社会にでるべき」という玉枝の考えが頭から離れず悩む和子。
和子は玉枝に誘われた婦人労働大会に向かい、そこで製糸工場で超ブラックな環境で働かされる女子工員の悲惨な話を聞き涙する。それ以来、自室にこもって考え事をするようになる。
ある日、家族揃っての外食の場で父親と兄が口論をする。そのやり取りを聞いていた和子は兄の言葉にハッとする。そして、結婚せず小学校の教師として働くことを決心する。
二年後、小学校でオルガンを弾いて子供たちと歌う教師となった和子の姿。
和子は職員室にて男性教師の白い目にも負けず政治について意見を述べる強い女性になっていた。顔つきも家でピアノ弾いてた頃と顔が違い強い意志にあふれている。
その後、会合に向かう途中で旧友の玉枝の姿を見つける。ひさしぶりの再開をよろこぶ二人。玉枝は結婚して赤ちゃんを抱いていた。
玉枝は和子と違う道を歩んでいた。
赤ちゃんが泣きだして去っていく玉枝の後ろ姿を見つめた和子。そして会合へと再び向かいだす和子はこう言って前へ進みだす。
「さぁ、がんばって・・・。わたしはわたしの道を行こう!」
今、和子の力強く前へ進もうとする後ろ姿を見ながらおっさんが号泣している( ノД`)。まるで1本の映画を見たようだ。和子頑張れ。いや、和子のような人たちがその時代、その時代を頑張ったから今の日本があるのだ。俺も頑張って生きよう。
第21巻の高度成長時代になると登場する人物や背景もあまり今と変わらなくなる。
そして、考え方も近くなる、
「おお、ミニスカート!!(大根だけど、とてもカワユイ・・・。)」
近いというか同じだった・・・。
リョウとジュンコは集団就職で同郷から東京にやってきて、2人は高度成長期の東京で生きることになる。デートの待ち合わせにて流行りのミニスカートをはいてきたジュンコにリョウが思わず歓喜。今も昔も(大根だろうと)ミニスカートはいいものです。
街並みも服装も考え方もほぼ一緒。今と違うのは未来はどんどん豊かに良くなっていくと信じてるところでしょうか・・・。
リョウ「俺の月給でもう一人くらい養えるかも」
ジュンコ「それプロポーズ?いやねこんな場所で(照れ)」
平和な時代はいいものだぁ~ねヽ(*´▽`*)ノ
平成の30年という第22巻もできていた。
作者はあおむら純先生では無くなっていた。ググって調べるとお亡くなりになられたようだ。先生ありがとうございました。
平成の30年はオッサンにとっては歴史と言われると違和感が・・・。
でも小学生にとっては歴史なんだろうな・・・orz。
時代は昭和(ジュンコのミニスカート)から平成(美佳ちゃんのホットパンツ)へと移り令和になったのです。令和の時代はどんな歴史となるのでしょうか。
第23巻が待ち遠しい。
でもそれって今を生きてる自分達のことでもあるわけだ。
ということは23巻の主役は俺ということにもなるってこと!?
ま、いいや、とりあえず、
イタメシ行こうよ、ギロッポンのさ。
【TDC】バブリーダンス 登美丘高校ダンス部 Tomioka Dance Club