今週のお題「自分にご褒美」
自分へのご褒美といったら何といっても日高屋の「汁なしラーメン(油そば)」で全員の認識は一致するであろう。もちろん、モリモリサービス券を使って1.5倍の麺をさらに大盛りにしてだ。ただでさえ通常で1000キロカロリーがさらにボリュームアップするのだから圧倒的である。もはや、そこに栄養バランスとか食生活がどうのこうのという概念は存在しない。
だって、自分へのご褒美だから。いいんです。
汁なしラーメンはグランドメニューの説明書きにもある通り、自分で調味料を使って味をアレンジする。ここでいう調味料とは卓上に置いてある醤油、酢、ラー油、コショウのことである。もちろん、使わなくても醤油ベースのタレが麺の下に潜んであるのでそれだけでも味わえるが、やはり、自分好みにアレンジする楽しみは格別だ。
したがって最終的な味は人それぞれである。千差万別だから同じ味の汁なしラーメンは2つと存在しない。その深さは銀河的にギャラクシーである。
俺色(の味に)に染めてやるよ。ぐへへ。
俺的なアレンジはコショウとラー油である。
グランドメニューにはお酢とラー油とあるが、コショウの香りと刺激、ラー油の辛さが日高屋の独特の麺のもっちり感と醤油ベースのたれと混ざっておいしいのである。
もちろん、これが正解ではないだろう。自分なりの正解を求め、追いかけ、やっと抱きしめたかと思っても腕の中からすり抜けていく、しかし、それでも我々は追いかけるのをやめない。
汁なしラーメンは我々を盲目にさせる。幸福に。
美しい。豊満な麺という名のグラマラスボディを称賛するかのように惜しみないコショウとラー油をあらんばかりにふりかける。
感極まりスタンディングオベーションで拍手喝采するオーディエンスかのようにただただ無心に丼の底からひっくり返すように縦横無尽にかき混ぜる。
かき混ぜるごとに麺の湯気が吹き上げ、麺の香り、コショウの香り、ラー油、そして醤油タレの幾重にも重なるハーモニーが調和して視覚を嗅覚を、そして混ざりある音が聴覚までもを喜ばせる。口の中の味覚が未だ己だけが満たされぬ欲望を抑えきれずにいる。
もはや私の脳は汁なしラーメンに乗っ取られた。
俺は豚だ。目の前の汁なしラーメンを食うことしか頭にない豚だ。いただきます。
(・(00)・)「ブヒィ!ブヒブヒ!!ブヒヒ!フゴフゴ、ブィ!ピギィ!ブヒィブイィィイイ!!!!」
(訳:うまい、めっちゃうまい、まじうまい、超うまい)
???「オイオイおまえさん、そのまま全部喰っちまうおつもりですかい?」
むむぅ(`皿´ )誰だ!俺(豚)の幸福な時間を邪魔するやつは!
???「お忘れですかい?アッシでございやすよ。小皿に別載せの半熟玉子でござんす」
は、半熟玉子のアニキィ(☆∀☆)!!
危ないところであった、汁なしラーメンはなんと半熟玉子付きなのである。メニューには乗っけてある状態の写真なのでもしかしたら店によって違うかもしれないが、私のところには卵の状態で小皿に乗ってやってくる。
3分の1くらいまでは玉子無しの味を楽しみたいので、最初からいれないのだが、時々食いすぎてしまう時もある。
役者はそろった。オールスターである。
汁なしラーメンは麺、タレ、ネギ、チャーシュー、メンマ、ゴマ、それに半熟玉子が加わって成り立っている。そして最終的に卓上の調味料で様々な味に変化する。個性の強い面々だが、誰がどんな味で決めようとも混ざり合うことで最後は調和してまとまりそれぞれの「おいしい」になるのだ。
みんな一人一人がナンバーワンでありオンリーワンである。それでいて、お互いの味を尊重しつつ、お互いの味を認め合うことで、丼の中で混ざり合いおいしくなる。いらない奴なんていない。
日高屋の汁なしラーメンは多様性の象徴である。ダイバーシティである。
我々も常にそうありたい。汁なしラーメンのように。
半熟玉子「オイオイ、おっさんが日高屋で一人、汁なしラーメンを前にしてなに目頭熱くしてんだい?麺が冷めちまうぜ?」
ハッ(;Д;)、危うく店員に挙動不審で通報されるところであった。
いよいよ満を持して半熟玉子を投入。
白い白身に黄身がちらリズム。たまんねーなオイ。
ただでさえおいしい半熟玉子をただでさえおいしい汁なしラーメンに入れて混ぜる混ぜる混ぜる!おいしくないハズがない。麺がうっすらと黄色いシースルーを身にまとう。
まさにイタリア人もおったまげ。
これぞ日本の(チーズの入ってない)カルボナーラである。
(トッピングでチーズでてこないかな・・・)
私がコショウを入れるのはまさにこの瞬間のためでもある。コショウの香りと半熟玉子の香りが混ざり合い、刺激的だった香りがコショウの良さを残しつつまろやかになる。大人の階段のぼるシンデレラのようである。
愛してる!ティ・アーモ!!
もう我慢の限界である。これ以上はもう待てない!
例えるなら食欲という欲望の熱いマグマが今まさに地上に噴出さんとする火山のようだ!!
俺という名のベスビオ火山の大噴火が今まさに日高屋で起こりつつある。ヤーンモヤーンモッコッコヤンモヤー!!
汁なしラーメン「ボーノ アペティート(σД<)☆!」
半熟玉子によりマイルドになった味がさきほどまでとは違う景色を見せている。一口、一口食うたびに次が食べたくなる。この暴力的なまでの食欲はポンペオ市を一瞬で飲み込みすべてを消し去った火砕流のようにとめどなく、そしてどこまでも汁なしラーメンを突き進んでいく。私ではない何かもっと大きな超自然的な力によって私の意志はかき消され理性は跡形も無く吹き飛ばされてゆく。私はふたたび豚になった。
(・(00)・)「ブヒィ!ブヒブヒ!!ブヒヒ!フゴフゴ、ブィ!ピギィ!ブヒィブイィィイイ!!!!」
(訳:グラッチェ!ボーノはふはうボーノ!オッティモよ!マンマミーア!ヒィウィアー!!!)
・・・。
古代ローマに栄えたポンペオ市の栄華は遥か昔の出来事であり、いまはただ往時の華やかなる地中海文明の名残りを廃墟が訪れる人に静かに語るのみである。
レンゲで必死に丼の底にのこった汁なしラーメンの夢のカケラをかき集め、ついにはそれも無くなりただただ夢の終わりを受け入れらずに空になったどんぶりの底を見つめ、4,5分前の華やかなりし至福であったひとときに思いを馳せる。
終わった、終わってしまった・・・。
豚からニンゲンに戻った飛べないおっさんはゆっくりとコップに水を注ぎ、お別れの時がきてしまったことをゆっくりと受け止めていく。
ごちそうさまでした(´ω`)。
食べているときはまったく気づかなかった額の汗をハンカチで拭き、おもむろに立ち上がりレジに立つ。
店員(σД<)☆「いつもありがとございま~す♪次回サービス券で~す♬」
オレ「・・・Σ(・∀・)!!」
そうだ、今日の汁なしラーメンとの別れがあれば次にめぐり合う汁なしラーメンとの出会いもある。店員から受け取ったモリモリサービス券という宝地図を持ち、船に乗り海を越えて再び会いに行こう、日高屋の汁なしラーメンに。
Andrea Bocelli, Sarah Brightman - Time To Say Goodbye (HD)
でも次はコメ(定食か炒飯)にしよう(〇・(00)・〇)ブヒ!!